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ブリストル (USS Bristol, DD-857) は、アメリカ海軍の駆逐艦。アレン・M・サムナー級駆逐艦の1隻。艦名は1901年から1903年まで北大西洋艦隊最高司令官を務めたマーク・ランバート・ブリストル少将に因む。その名を持つ艦としては2隻目。 ==艦歴== ブリストルは1944年5月5日にカリフォルニア州サンペドロのベスレヘム造船所で起工する。1944年10月29日にアウグスト・フレデリック・エバリー夫人によって命名、進水し、1945年3月17日にK・P・レッツ中佐の指揮下就役する。 就役後1945年6月13日にサンディエゴを出航、真珠湾に6月19日到着し、7月29日にグアムに到着、第30.8任務群に合流する。同艦隊は第38任務部隊に対する補給後方支援を行うグループであった。8月5日にブリストルはアシュタビュラ (''USS Ashtabula, AO-51'') と衝突する。ブリストルは艦首部分を損傷し、修理のためグアムに帰還、修理は9月1日に完了した。その後日本の占領支援任務に向けて出航する。ブリストルの任務は1946年2月21日に終了し、3月15日にサンペドロに帰還した。 1946年4月、ブリストルは東海岸へ向かい大西洋艦隊に合流した。東海岸沿いに活動を行い、1947年2月にイギリスに向けて出航、ヨーロッパ水域での巡航を8月まで行う。1947年8月から1948年9月までブリストルは大西洋での作戦活動に従事し、その後1949年1月まで二度目のヨーロッパ巡航を行う。 ブリストルは帰国すると予備役訓練艦に指定され、続く18ヶ月間にわたってルイジアナ州ニューオーリンズで活動する。1950年の夏から秋にかけてブリストルはグアンタナモ湾で訓練を行い、その合間にカリブ海のいくつかの港を訪問した。 1950年10月21日にブリストルは母港をニューポートに変更し、グアンタナモ湾で回復訓練を行った後母港のニューポートに到着した。1951年3月5日に地中海へ向かい、第6艦隊との任務に就いた後、夏にニューポートに帰還した。10月2日に世界一周の巡航を始め、その後朝鮮半島で1951年10月31日から1952年2月27日まで活動した。その後スエズ運河と地中海を経由して、1952年4月21日にニューポートに帰還した。 その後ブリストルは大西洋艦隊に所属し東海岸およびカリブ海、また第6艦隊と共に地中海で平時の作戦活動に従事した。 ブリストルは第二次世界大戦の戦功で1個の従軍星章を、朝鮮戦争の戦功で2個の従軍星章を受章した。 1969年11月21日にブリストルは退役し米海軍から除籍され、同年12月9日には台湾に売却された。 1970年2月5日フィラデルフィアより回航され、4月25日に左営港に到着、台湾海軍に編入され、「華陽」と改名された。同時にイスラエルのガブリエルMK1対艦ミサイルを搭載した。1994年4月に退役・除籍、スクラップにされた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ブリストル (DD-857)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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